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浦和地方裁判所 昭和61年(ワ)797号 判決 1996年2月28日

原告

須戸脩介

右法定代理人親権者父兼原告

須戸久光

同母兼原告

須戸洋子

右三名訴訟代理人弁護士

赤松岳

田中重仁

岡村茂樹

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

被告

永井荘一郎

右両名訴訟代理人弁護士

武内光治

被告国指定代理人

川名克也

外五名

被告永井荘一郎訴訟代理人弁護士

赤松俊武

主文

一  被告らは、各自、原告須戸脩介に対し、金四五七七万七八〇一円及びこれに対する昭和五九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告須戸久光、同須戸洋子に対し、各金一一九二万三九二七円及び各内金八九二万三九二七円に対する昭和五九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

被告らは、各自、原告須戸脩介(以下「原告脩介」という。)に対し、金七六二六万七四八三円及びこれに対する昭和五九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告須戸久光(以下「原告久光」という。)、同須戸洋子(以下「原告洋子」という。)に対し、各金四四九九万七〇〇一円及び各内金三七四九万七〇〇一円に対する昭和五九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、国立病院において重症の新生児仮死の状態で出生し、脳に重度の後遺障害を負った子供とその父母が、国と担当医師に対し、右後遺障害は担当医師らの過失によるものであるとして、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めた事件である。

一  争いのない事実等

当事者間に争いがないか、証拠(甲一、三、一〇号証、乙一、二号証及び原告洋子、被告永井荘一郎各本人尋問の結果)により容易に認められる事実は、以下のとおりである。

1  当事者

(一) 原告脩介は、昭和五九年二月一三日、後記国立埼玉病院において父原告久光と母同洋子との間の次男として出生したが、重症の新生児仮死の状態で出生し、その後も脳に重度の後遺障害を負っている者である。

(二) 被告国は、埼玉県和光市諏訪二番一号において国立埼玉病院(以下「被告病院」という。)を開設しており、被告永井荘一郎(以下「被告永井」という。)は同病院に医師として勤務していた者である。

2  分娩の概括的な経過

(一) 昭和五八年七月一一日、原告洋子は、被告病院にて被告永井の診察を受け、同被告より、第二子を妊娠しており、分娩予定日が昭和五九年二月二二日である旨診断された。

(二) その後、昭和五八年八月八日から翌五九年二月八日までの間、原告洋子は被告病院に通院して被告永井らから検診を受けた。

(三) 妊娠三八週と五日目を迎えた昭和五九年二月一三日(以下、同日の出来事については時刻のみを示すことにする。)の朝、原告洋子は、出血を主訴として被告病院を訪れ、被告永井の診察を受けたところ、同被告より、子宮口が約二センチメートルほど開大しているうえ前置胎盤の疑いがある旨診断され、同被告の指示により引き続き被告病院に入院することになった。

入院後、原告洋子は、助産婦斉藤(現姓・波田野)なみ子(以下「斉藤助産婦」という。)の関与のもとで、分娩室に入室のうえ、午前一〇時四〇分頃より陣痛促進剤の点滴投与を受けていたが、その後、被告永井の指示により右点滴投与が中止され、正午頃、原告洋子は帝王切開術施行のため手術室に運び込まれた。

(四) 手術室においては、被告永井を術者として原告洋子に対する帝王切開術が施行され、午後〇時二八分の執刀開始後、午後〇時三二分に原告脩介が娩出された。

出生した原告脩介は、呼吸も心拍動も認められないという重症の新生児仮死の状態にあったため、直ちに被告永井らの手で蘇生術を受けた。午後〇時五〇分に蘇生術は一旦中止されたが、午後一時二〇分頃より被告永井が再度蘇生術を施行したところ、心拍動が認められるに至り、その後、弱い自発呼吸も認められるようになった。

午後二時二〇分頃、原告脩介は、救急車で東京都立清瀬小児病院(以下「小児病院」という。)へ転送された。

3  原告脩介の負った後遺障害

原告脩介は、昭和五九年二月一三日から同年八月二七日まで小児病院において入院治療を受け、その後も引き続き東京都立神経病院において入院治療を受けるなどしたが、出生の際に右のとおり新生児仮死の状態をもたらした重篤な酸素欠乏症(酸素欠乏症自体は医学上低酸素症ともいうが、そのうち重篤なものは特に無酸素症ともいう。)による脳障害(無酸素性脳障害。以下これを単に「脳障害」ともいう。)のため、四肢及び体幹に重度の機能障害が残り、昭和五九年九月頃には右症状が固定した。

障害の程度は身体障害者福祉法上第一級と認定済みであり、現在も寝たきりの状態である。

二  主たる争点

主たる争点は、原告脩介の負った重度の後遺障害が被告病院における被告永井らの過失によるものか否かという、点にあり、この点に関する双方の具体的な主張は、以下のとおりである。

1  原告らの主張

(一) 胎児の娩出の時機を失した過失

被告病院において、被告永井らは、前置胎盤という重大なリスクをもって入院してきた原告洋子に対し、十分な事前の検査・検討をしないまま安易に陣痛促進剤を投与し、その後も不十分な分娩監視しか行わなかったため、胎児心拍数の減少(徐脈ともいう。)の確認や評価を誤り、もって胎児の娩出の時機を失した過失によって、原告脩介に重度の脳障害を発症させたものである。

本件の新生児仮死は、前置胎盤の早期剥離によって母体から胎児に対する酸素供給が減少ないし途絶したため起こったものと考えるのが合理的であるが、本件の分娩経過からすれば、新生児仮死の原因が、前置胎盤に起因するものであれ、臍帯因子によるものであれ、被告永井らが、不要不急で、しかも危険を伴う陣痛促進をしなければ、又、敢えて陣痛促進をするのであれば、文字通り厳格な分娩監視を行い、同時に、緊急事態に迅速に対応できる本当の意味でのダブル・セット・アップの備えをするか、そして、もっと早期に、帝王切開術の決定をしていたかすれば、本件のような不幸な結果は回避し得たのである。

(1) 陣痛促進の施行及びその方法について

被告永井は、原告洋子を前置胎盤と診断した上でダブル・セット・アップと陣痛促進を指示しているが、前置胎盤の場合に陣痛促進を実施するに当たっては、その必要性(医学上のいわゆる適応)と条件(医学上のいわゆる要約)とが厳格に吟味されなければならないところ、本件では、母児双方に陣痛促進を実施する必要性もなく(原告洋子は、分娩予定日を過ぎたわけでもなく、母児双方に急速分娩を必要とする異常があったわけでもない。)、且つ、安全な経膣分娩が期待される条件も整っていない(子宮口がわずか一指しか開大せず、児頭もおそらくかなり高い位置にあり、分娩終了までかなりの時間が必要となることが予想される。)状態で陣痛促進が指示され、実施されているのであって、本件の分娩において、被告永井が陣痛促進を行ったことは極めて不適切であったし、百歩譲っても、極めて危険な賭に出たものであることは否定し得ない。

なお、陣痛促進剤の使用方法も、本件では、アトニンOとプロスタルモンFを併用のうえ、最初から一分間に二〇滴という点滴速度で施行されているが、当時から既に右両薬剤の併用を禁忌とする考え方があり、点滴速度も五滴ないし一〇滴から始めるべきものとされていたのに比し、本件の使用方法はいかにも無謀、無神経であり、前置胎盤に伴う危険への配慮を著しく欠くものとの誹りを免れない。

(2) 助産婦による分娩監視の方法及び徐脈の確認後の対応について

本件のように、前置胎盤というハイ・リスク分娩において、敢えて陣痛促進剤を使用する場合には、通常の場合よりも特に厳重な分娩監視の態勢をとって早期に異常の発見に努めるとともに、胎児心音の異常等が認められた時は、速やかに帝王切開によって胎児の娩出を図るべきであった。

しかるに、本件では、斉藤助産婦が、他の産婦の分娩介助をする傍ら記録部の故障した分娩監視装置から発せられる胎児心音を聞いて分娩監視をしていたというのであって(ただ、分娩監視装置の記録部が故障していたという点は、被告らが記録の提出を拒むために虚偽の弁解をしている疑いが大きい。)、被告永井は、危険な賭をしながら危険を示唆する情報の収集にも驚く程無神経であったといわざるを得ない。

そのうえ、斉藤助産婦は、午前一一時一五分と二〇分の二度にわたり、いわゆる胎児仮死診断の重大な徴候である徐脈を確認しながら、医師への報告もせず、午前一一時四〇分に三回目の徐脈を確認してから初めて被告永井に連絡をしているのであるが、斉藤助産婦が、一回目の徐脈から被告永井に報告をしていれば、同被告も、午前一一時一五分の時点で陣痛促進剤の点滴を中止のうえ帝王切開を決定していたはずであったし(遅くとも、二回目の徐脈が確認された午前一一時二〇分の段階では、胎児仮死への進行を予測して帝王切開の決定をなすべきであった。)、そうすれば、五秒間隔で「三」などという午前一一時五五分の極端な徐脈は生じなかった可能性が大なのであるから、斉藤助産婦が午前一一時一五分に徐脈を確認した時点で被告永井に報告をしなかったことは、極めて重大な過失といわなければならない。

(3) ダブル・セット・アップの実態について

本件のように、前置胎盤というハイ・リスク分娩において、敢えて陣痛促進剤を使用する場合、胎児心音の異常等が認められた時は速やかに帝王切開によって胎児の娩出を図るべきであったのであるから、この場合のダブル・セット・アップは、本当の意味でのそれ(五分ないし一〇分以内に帝王切開が出来る態勢)でなければならなかった。

本件でも、確かに、被告永井はダブル・セット・アップを指示しているが、実際に準備された内容は手術室の確保と食事制限だけで、原告洋子に対する準備にしても、又、手術室に運び込む種々の必要品の収集にしても、いずれも事前に準備が可能であったにもかかわらず、全て被告永井による帝王切開の決定以後に行われているのであって、(本件で帝王切開が決定されたのは、午前一一時五五分と考えるべきであるが)被告らの主張するように午前一一時四〇分に帝王切開が決定されたとすれば、同決定から手術室に入室する午後〇時までに二〇分、午後〇時三二分の胎児の娩出までには五二分もの長時間を要したことになるのであるから、本件でなされた準備は、実際にはおよそダブル・セット・アップの名に値しないものであった。

(二) その他の過失

(1) 超音波検査を実施しなかった過失

入院の際の診察の結果、被告永井は、原告洋子が前置胎盤である旨診断していたうえ、本件は(前置胎盤の分類である全前置胎盤、一部前置胎盤、辺縁前置胎盤のうちの)辺縁ないし一部前置胎盤と幅をもって考えるべき事例であったのであるから、担当医としては、超音波検査を実施して胎盤の位置の判定や胎盤早期剥離の有無等の鑑別をなすべきであったのに、これを怠った。

(2) エストリオール検査及びNST検査を実施しなかった過失

被告永井は、分娩を担当する医師として、分娩を迎えるに当たり、エストリオール検査やNST検査を実施し、胎盤機能や胎児予備能を把握して分娩の異常に備えるべきであったのに、これを怠った。

(3) 医師自らが直接分娩監視をしなかった過失

前置胎盤である原告洋子に対し、アトニンO及びプロスタルモンFを投与するという状況の中では、被告永井自身が直接監視下で分娩管理をなすべきであったのに、同被告はこれを怠った。

(4) 蘇生術を中止した過失

仮死状態にある新生児に対する蘇生術を断念するのは、少なくとも三〇分以上の蘇生術継続によるも効果がなく、数度の慎重な心拍の聴取によっても心拍を聴取できないという場合でなければならず、又、その場合でも、万が一の場合を考慮して挿管は残置すべきである。

しかるに、被告永井は、出生後一八分間蘇生術を施行しただけで、原告脩介が死亡したものと誤診して蘇生術を中止し、挿管をも抜管してしまうという誤りを犯した。

2  被告らの反論

(一) 原告らの主張(一)について

原告らは、新生児仮死の原因が何であったにせよ原告脩介を健康な状態で分娩に導くことは可能であったと主張するが、これは、新生児仮死の原因との関係で注意義務を論ずることなく本件の結果を予見し、回避することが可能であったと主張するものであって、法的には無意味であり、被告永井らに注意義務違反はない。

本件の新生児仮死の原因は、前置胎盤とは関係のない、臍帯因子等による血流阻害の可能性が高いといわなければならず、これが、本件診療経過においては午前一一時五五分の急激且つ重大な徐脈として発現したのであるが、このような事態の発生を当時の医療水準の下で予見し回避することは不可能であり、又、分娩監視装置が正常に機能し、正確に記録され、適切に判読されていたとしても不可能であったと考えられること、午前一一時一五分と二〇分に発現した一過性の徐脈に対しては、陣痛促進剤の投与速度を遅くし、あるいは酸素投与を開始するなど、その時々に応じて適切な処置が行われており、且つ、右徐脈は短い時間で回復していること、(一過性の)徐脈が助産婦の記録した三回の外にも存在していたと仮定しても、本件で帝王切開の決定時期が遅れたとは考えられず、帝王切開決定から胎児の娩出までの所要時間も許容される範囲内であること等を総合すれば、原告脩介の脳障害の発生について、被告永井らに診療上の注意義務違反がないことは明らかである。

(1) 陣痛促進の適応、方法及び新生児仮死との間の因果関係について

被告永井は、原告洋子の前置胎盤につき、内診によって辺縁前置胎盤であると適正に診断しているのであるから、本件では、辺縁前置胎盤を前提としてその後の処置の適否が判定されるべきであるところ、辺縁前置胎盤の場合には、一般に、経膣分娩の適応が認められているうえ、本件では、出産予定日が近く、陣痛も発来しているなど、分娩進行状況が分娩に至っても良いものであったことを考慮すれば、陣痛促進の適応も認められたのであって、被告永井が陣痛促進処置を行ったことは何ら問題とされるものではない。

陣痛促進剤の使用方法についても、アトニンOとプロスタルモンFの併用自体は禁忌とされるものではないのであって、本件のようなハイ・リスク分娩においても、慎重な管理の下で右併用をすることは認められていた。当初の投与速度についても種々の見解があって、本件の当初の投与速度が誤っていたということはない。

原告らは、陣痛促進剤の投与が胎盤の早期剥離を促し、本件の新生児仮死の原因となったと主張するようであるが、本件において胎盤の早期剥離が原因で新生児仮死がもたらされたとは考えられないこと後述するとおりであり、又、本件では、陣痛促進剤投与後も陣痛が増強されておらず、右投与の効果は殆どなかったものと判断されるうえ、後に投与速度も低くされていることからすると、当初の投与速度が多少速かったとしても、それが原告脩介の新生児仮死の原因になったとは到底考えられない。

(2) 被告病院における分娩監視及び徐脈に対する処置並びに新生児仮死の具体的な原因について

ハイ・リスク分娩に当たり十分な監視を行うことは当然であり、本件でも、被告永井より詳細な指示を受けて、経験豊富な助産婦、看護婦が慎重な管理を行っているのであって、右助産婦らの行った分娩監視の内容は厳格なものであり、医師による管理と全く同じものであった。すなわち、当日午前一〇時四〇分頃、被告永井の指示により、分娩監視装置を装着のうえ点滴が開始されたのであるが、その後、斉藤助産婦は、原告洋子の腹部に手を当てて陣痛の発作及び間欠の時間の測定等を行い、一回目の徐脈の際は点滴の速度を落とし、二回目の徐脈の際には酸素投与を開始したことからも分かるように、分娩監視装置から発せられる胎児心音を確認するとともに原告洋子の状態に絶えず注意し、又、時々同原告に近づいてその状態を観察し、必要な処置を行っていたのである。更に、同助産婦が医師の判断を仰ぐ必要のある時には、分娩室と同じフロアーの二〇数秒内外で到達できる外来診察室に被告永井がいて、いつでも必要な指示を出せる態勢にあったのであるから、この点からも、被告永井らが分娩監視義務を怠っていたことはない。又、当日午前一一時三〇分前後頃の一五、六分間は別の産婦人科医師渡邉茂が原告洋子のすぐ傍らで心音の聴取等を行っており、その間に帝王切開を必要とする心拍異常のなかったことを確認しているのであって、その後、同医師が分娩室を出た直後の午前一一時四〇分頃の徐脈を契機に帝王切開の決定がなされたのであるから、この点からも、被告病院における分娩管理が不十分であったということはない。

本件で午前一一時一五分と二〇分に発現した一、二回目の徐脈については、分娩監視装置の記録装置の故障のため、その形態の詳細を把握することは出来なかったが、それらは、いずれも一過性の徐脈であって(具体的には、臍帯因子による変動一過性徐脈と判断される。)、持続時間も短く、いわゆる胎児仮死を疑うべき高度の徐脈ではないうえ、性器出血を伴っていなかったから、胎盤剥離によるものとも考えられず、他に胎盤からの出血あるいは胎盤剥離の具体的な危険が発生したこともなかった。このように、右時点において、直ちに帝王切開に切り換えることを要する状況にあったとは到底考えられないのであるから、斉藤助産婦が、胎児の状態の改善を図るために、陣痛促進剤の投与速度を遅くしたり酸素投与を行うなどした上で経過観察をしたのは、適切な処置であった。なお、被告永井は、午前一一時四〇分に助産婦から胎児心拍数の減少が発現した旨の連絡を受け、それが直ちに胎盤剥離を示すものではないが、出血の危険性や胎盤剥離の危険性があることから、安全をとって、帝王切開に切り換えたものであって、その前の一、二回目の徐脈を考慮しても、右診療経過の下では、帝王切開決定の時期が遅かったとは考えられない。

本件では、午前一一時五五分に胎児心拍数の顕著な減少及び二〇〇ccの性器出血が認められているが、このうちの性器出血が胎盤の剥離によるものであることは否定できないとしても、出血量が二〇〇ccと比較的少量であることから剥離も比較的小さな範囲に止まったものと推定されるのであって、その程度の胎盤剥離が右時点で発現した顕著な胎児心拍数の減少の原因になるとは到底考えられず、他に、分娩後の胎盤の所見として(胎盤の)早期剥離があれば必ず認められる凝血塊の付着等の所見がなかったことをも併せ考慮すると、右時点以降発生した重篤な徐脈(そして、その後の新生児仮死)は胎盤の早期剥離によるものではなく、その合理的な原因は他に求める必要があるといわなければならない。しかるに、本件では臍帯の辺縁付着があり、しかも臍帯が胎盤の本当に縁のところに付いていたこと等からみれば、それまでに予測不可能であった重大な変化が臍帯因子によって突発的に起こってしまったものとしか考えられないのである。

(3) 娩出までの所要時間について

ダブル・セット・アップとは、必要がある場合には直ちに帝王切開に切り換えることが出来るように手術室において経膣分娩を試みるという対応を本来意味する用語であるが、一般には、臨床経過により帝王切開に切り換えることが予想されるという場合において、妊婦に帝王切開の可能性を説明し、食事の摂取を禁止し、手術室の担当看護婦らにその旨の連絡をし、輸血の準備をしたり、手術室を使用可能な状態で待機きせるなど、帝王切開が決定された時の手配を整えておくことを意味する用語として使用されているところ、本件におけるダブル・セット・アップも後者の意味で使用されているのであるが、一般に、前置胎盤で経膣分娩を試みる場合においては、用語の本来の意味でのダブル・セット・アップの態勢の下で診療を行わなければならないとは考えられていないのであって、本件でそのような態勢がとられていなかったからといって非難される理由は何もない。

本件の診療経過において、帝王切開決定から娩出までに五二分を要したことについても、理想論からいえば三〇分以内が望ましいが、一般に許容される所要時間内には行われているのであって、被告永井らの対応が不適切であったとは解されない。

(二) 原告らの主張(二)について

(1) 超音波検査の実施について

被告永井は、原告洋子の前置胎盤につき、入院時の診察の際の内診により辺縁前置胎盤であると確定診断しており、且つ、右診断は適正であったと判断されるのであるから、それ以上に超音波検査によって胎盤の位置を明確にする必要もなかったし、又、同検査によって胎盤の位置や胎盤の早期剥離の有無を明確にすることは、実際上診断が相当難しいことからみても、被告永井には同検査を実施すべき義務はなかった。

(2) エストリオール検査及びNST検査の実施について

エストリオール検査は胎盤機能の検査であり、補助診断であって、参考になり得るものではあっても、それによって処置が左右されることは考えられず、特に、本件においてはその後の臨床所見からも胎盤機能に異常があったとは認められないのであるから、同検査をしなかったことをもって、被告永井に過失があったとはいえない。

又、NST検査は、分娩監視装置による胎児心拍数図の記録を必要とするものであるが、本件では同装置の故障により記録がとれなかったので、やむを得ず、慎重な心音管理を行うことで対処したのである。

(3) 医師自らによる直接分娩監視について

原告らは、本件の診療経過において、陣痛促進剤を使用する場合には被告永井が直接監視下で分娩管理を行うべきであったと主張するが、一般にこのような義務はなく、原告らの右主張は臨床医療の実情を全く無視したものであって、根拠がない。

(4) 蘇生術の中止について

被告永井は、小児病院麻酔医の協力を得て蘇生術を行ったが、出生後一八分間にわたる蘇生術を続行するも原告脩介に何らの反応がなく、仮死の状態に何らの改善もみられず、度重なる聴診器による聴取でも心音は全く聞こえなかったので、これらの経過及び事実から原告脩介の死亡を診断したものであって、この点は、医学上まことにやむを得なかったものといわざるを得ない。

又、原告らは、万が一の場合を考慮して挿管は残置すべきである旨主張するが、右主張は、全く意味がないものである。

なお、本件では、午前一一時五五分に胎児心拍数が三(五秒間隔)になったのであり、この時点から脳への酸素供給は急激に減少したと認められるのであって、それから蘇生術を中止した午後〇時五〇分までに約五五分が経過しているのであるから、仮に蘇生術を中止せずに更に続行したとしても、現状と比較し、結果が良好になるとは考えられない。

第三  主たる争点に対する判断

一  分娩及びその前後の具体的な診療の経過

前記第二の一(争いのない事実等)に示した事実と証拠(甲一八号証、乙一、二号証、証人波田野なみ子、同渡邉茂の各証言及び原告洋子、被告永井各本人尋問の結果)により認められる事実を総合すると、出生後の原告脩介が重度の後遺障害を負うに至った分娩及びその前後の具体的な診療の経過は、以下のとおりである。

1  外来初診及びその後の検診の経過

昭和五八年七月一一日、原告洋子(昭和二八年一一月七日生まれ。当時二九歳)は、妊娠を疑って被告病院を訪れ、産婦人科外来患者として当日の担当医であった被告永井の診察を受けたところ、妊娠八週二日である旨診断され、当日、妊婦として必要な諸検査を受けるとともに、その後も引き続き被告病院において検診を受けることになった。なお、原告洋子は、妊娠・分娩歴一回を有する経産婦であり、前回の分娩は正常な自然分娩であった。

原告洋子は、右初診時より母体・胎児とも特に異常の認められないまま数回の検診を経たが、昭和五八年一一月二日(妊娠二四週)の検診時に受けた血液検査の結果、血色素量9.6g/dlという(正常値一二g/dlと比較して)相当程度の貧血を示す値が認められたことから、同月三〇日(妊娠二八週)の検診を担当した被告永井より二週間分の鉄剤を処方され、同年一二月二一日(妊娠三一週)の検診時の検査結果も、血色素量10.2g/dlという値であったことから、翌昭和五九年一月四日(妊娠三三週)の検診の際にもやはり同量の鉄剤を処方された。原告洋子は、前回の妊娠の際も貧血のために同じ薬剤を処方され、服用する度に気分が悪くなってしまうという経験をしたため、今回は右のとおり二度にわたって鉄剤を処方されたものの、それらを殆ど服用しなかった。その後、同月一八日(妊娠三五週)の検診時の検査結果も、血色素量9.2g/dlという値であったが、以上の貧血の点を除けば母体・胎児とも特に異常は認められなかった。

2  入院の前夜から当日未明にかけての出血等の経過

昭和五九年二月一二日(妊娠三八週四日)午後一一時頃、自宅で就寝前にトイレに入った原告洋子は、そこで生理様の出血があるのを認めた。痛みこそなかったが、出血の性状からいわゆる「おしるし」ではないと考え、直ぐに被告病院に電話をしたところ、電話口に出た産婦人科の看護婦と思われる女性から症状を聞かれ、朝まで待つように指示されたため、自宅で横になって朝まで待機することにした。翌一三日(妊娠三八週五日)午前五時三〇分頃に再び前と同様の痛みを伴わない出血を認め、且つ、午前六時頃から初発陣痛をみた原告洋子は、被告病院の外来診療の開始時刻に合わせて入院等の支度をし、午前八時三〇分頃夫の運転する車で被告病院に到着した。

3  外来診察から入院までの経過

原告洋子は、午前九時頃、被告病院の外来産婦人科の診察室において、当日の外来担当医であった被告永井の診察を受けた。

被告永井が原告洋子の内診を行ったところ、軽い陣痛と子宮口が一指(約二センチメートル)ほど開大しているのを認めたが、子宮口の右上縁部にある胎盤の辺縁と思われる部分に触れても出血は起きなかった。右内診により、被告永井は、胎盤が子宮の下方に掛かっているという前置胎盤の疑いがあるが、そうであるとしても辺縁性のものであると考えられるから、現時点で全前置胎盤のような危険性はなさそうであると診断した。なお、右診察の際に、胎児は、「SPマイナス三」という値で示されるような高い位置にあって、児頭が未だ十分に下降していない状態にあることも確認された。

右診察を終えた被告永井は、直ちに原告洋子を入院させることにした上で、分娩管理の方針として、まず陣痛「誘発」法を行って、出血もなく分娩が進むようであれば経膣分娩を試みるが、出血があれば帝王切開術を行うという、いわゆるダブル・セット・アップの態勢で臨むことにし、病棟の助産婦に対しても右方針を伝えるべく、次のような指示をした。

(一) 禁飲食、すなわち、帝王切開術の可能性に備えて、原告洋子に飲食をさせないこと、

(二) 手術室にも、緊急帝王切開術の可能性がある旨連絡すること(なお、被告永井自身も、外来の診察室から手術室に電話を入れておいた。)、

(三) 出血の事態に備え、輸血(五本すなわち一〇〇〇ml分)の申込みをすること、

(四) 陣痛「誘発」法を行うこと、投与する薬剤は、点滴基剤のラクテックG五〇〇mlに陣痛促進剤(子宮収縮剤)のアトニンOを五単位、同じくプロスタルモンFを二〇〇〇γとすること。

こうして、原告洋子は、被告病院において被告永井の外来診察に引き続き、そのまま入院することになったが、入院に伴う被告永井からの右の指示は、当日病棟で実際の分娩介助等に当たる斉藤助産婦がこれを受けた。

そして、被告永井自身は、それ以降、外来診察室で他の患者の外来診療を続けていた。

なお、右入院に至るまでの間、酸素欠乏症等、胎児の異常の発生を疑わせる所見は全く認められなかった。

4  入院から陣痛促進剤の点滴投与開始までの経過

入院後、斉藤助産婦は、まず午前一〇時頃より予診室という部屋で、原告洋子の問診、母体・胎児に対する測定等を行ったところ、七分ないし一〇分間隔の陣痛が認められ、胎児心拍数は、超音波ドップラー装置による計測により五秒毎の回数にして連続で一三、一三、一三と正常な値を示しており、又、出血も認められなかった。

右問診、測定等を終えた斉藤助産婦は、午前一〇時四〇分頃、分娩室の分娩台の上に原告洋子を寝かせて、分娩監視装置を装着のうえ点滴基剤のラクテックG五〇〇mlの中に陣痛促進剤のアトニンO五単位とプロスタルモンF二〇〇〇γを注入して、一分間二〇滴の速さで点滴投与を開始した。右分娩監視装置は、当時、被告病院に一台だけ備えられていたものであり、被告病院において陣痛誘発法を行う場合には、常に同装置を予め母体に装着することにしていたが、その当時、機械の故障のために胎児心拍数図の記録がとれない状態にあったことから、同装置を用いた分娩監視の方法としては、胎児心拍を捉えて音を発するという同装置の機能により、胎児心音を聴取することのみで行っていた。又、斉藤助産婦において点滴投与の速度を一分間二〇滴としたのは、その当時被告病院で通常行われていた方法に従ったものである。

なお、被告病院の右分娩室内には、原告洋子が横になった分娩台の傍らに、一メートル強の間隔を置いてもう一台の分娩台があり、右二台はカーテンによって仕切られていただけであった。そして、当日、原告洋子に対する点滴投与中に隣の分娩台を使って別の産婦のお産があり、右産婦については、午前一一時三〇分頃、自然分娩で胎児が娩出された。しかして、右産婦の分娩の介助を行ったのも斉藤助産婦であり、その他のスタッフとしては、「外回り」と呼ばれる立場の看護婦井上智子「以下「井上看護婦」という。)が主として右産婦の観察等に当たり、娩出の前後一五、六分の間は、産婦人科医長医師渡邉茂(以下「渡邉医師」という。)も右産婦の分娩に立ち会っていた。

5  陣痛促進剤の点滴投与中の経過

原告洋子に対する点滴投与の開始後、斉藤助産婦は、分娩監視装置を経由して聞こえてくる胎児心音の変動の有無に気を配るようにし、時期を見計らっては、分娩室内の掛け時計を見ながら胎児心拍数を計測したりしていたところ、午前一一時一五分頃の胎児心拍数の計測の際、五秒毎の心拍数が一時的に最低で六回にまで減少したことが確認されたため、同助産婦は、点滴投与の速度をそれまでの一分間に二〇滴から一五滴に落とした上で、この時の胎児心拍数の変動の経過につき、看護記録中に「一二、一一、一〇、八、六、…、一一、一一」と記載した(このうち「…」という記載は、心拍数が回復する際、同助産婦において計測の出来ないまま数秒が経過してしまったことを示したものである。)右のとおり、斉藤助産婦が点滴投与の速度を落としたのは、胎児心拍数の減少がみられた場合には胎児へのストレスを幾らかでも減らすための処置をすることが多いという知識ないし経験を踏まえ、同助産婦の判断の基に母体の陣痛を弱める意図で行ったものであるが、その一方で、同助産婦は、胎児心拍数の下降がすぐに回復したことからこのまましばらく様子を見ようと考え、あえて右経過を被告永井に報告してその指示を仰ぐということはしなかった。

右のとおり、一回目の胎児心拍数の減少が認められた約五分後の午前一一時二〇分頃、斉藤助産婦は、再び胎児心拍数の減少に気付き、再計測をしたところ、五秒毎の心拍数がやはり一時的に最低で六回にまで減少したことが確認されたため、母体への酸素の流送を一分間に五lの割合で開始するとともに、母体の腹部に手を当てることによって右心拍数減少が陣痛発作時のものであることが確認されたことから、この時の胎児心拍数の変動につき、看護記録中に「八、六、六、八、一〇、一一発作時」と記載した。斉藤助産婦が母体への酸素の流送を開始したのは、右のような事態に対する同助産婦の通常の処置として行ったものであり、その一方で、同助産婦は、右心拍数変動を陣痛発作との関係で早発性の徐脈と判断し、かねて早発性の徐脈の場合は様子をみてよいものと指導されていたことから、やはり、右経過を被告永井に報告することはしなかった。

右のとおり二回目の胎児心拍数の減少が認められた後も、原告洋子に対する点滴投与は継続されたが、前記のとおり、丁度その頃、隣の分娩台では別の産婦のお産が午前一一時三〇分頃の胎児の娩出に向けた最終段階に入ったことから、斉藤助産婦は右産婦の分娩の介助に専念することになり、原告洋子の側を離れざるを得なくなった。なお、その当時分娩室には渡邉医師も在室していたが、同医師は、右産婦の分娩に立ち会っており、原告洋子の様子に特に注意を払うことはなかった。

そして、右分娩の介助を終えた後の午前一一時四〇分頃、斉藤助産婦が原告洋子につき再び胎児心拍数を計測したところ、五秒毎の心拍数がやはり一時的に最低で六回にまで減少したことが確認されたため、同助産婦は、減少を認めたのが既に三回目であること、減少している時間が一、二回目に比べて少し長くなっていること、原告洋子が当初から帝王切開術の可能性を持っていたことを総合して、被告永井に報告をすることにし、分娩室から約一〇メートル離れたナースステーションに戻って、外来診療中の被告永井と電話で連絡を取った。被告永井は、電話で斉藤助産婦から胎児心拍数の減少があった旨報告を受け、その場で直ちに帝王切開術を行うことを決意し、同助産婦に対して、陣痛「誘発」法を中止のうえ直ちに帝王切開術に向けた準備を始めるよう指示を発するともに、自らは手術室との連絡を取った。右指示を受けた斉藤助産婦は、その場にいた婦長らにもこれから手術になる旨伝えた上で、分娩室に引き返し、それまで原告洋子に点滴投与していた陣痛促進剤を含む薬剤を、ラクテックG単独のものに切り換えた。なお、この時の胎児心拍数の変動経過について、斉藤助産婦は、計測に基づき看護記録中に「八、八、六、六、六、八、一〇、一一…」と記載した(このうちの「…」という記載は、同助産婦において、心拍数が一一回にまで回復した後は心音に変動が無いものと認めたことを示したものである。)。

6  帝王切開術による胎児娩出の経過

原告洋子に対する陣痛促進剤の点滴投与中止後、斉藤助産婦は、井上看護婦と手分けして、帝王切開術施行に向けた準備を開始し、具体的には、斉藤助産婦が主として搬送用保育器等手術室に持ち込む物品類、前投薬の準備、術前看護記録の作成等を、井上看護婦が主として原告洋子の腹部等の剃毛をそれぞれ行った。

右のような準備がほぼ完了した午前一一時五五分頃、斉藤助産婦が原告洋子を分娩台からストレッチャーへ移そうとした際、同原告に性器出血のあったことが確認された。その頃分娩室に到着した被告永井は、右出血を知り、原告洋子の膣内にガーゼを挿入、圧迫する方法で直ちに止血処置をした。その際の出血量は、計測の結果、約二〇〇ccであった。そして、斉藤助産婦が、超音波ドップラー装置による聴診の方法で胎児心拍数の計測をしたところ、五秒間の心拍数は三回しかないことが確認された。右止血処置等を終えた被告永井らは、原告洋子を分娩室から手術室へ移動させ、正午頃には、同原告を手術室に運び入れた。

被告永井は、午後〇時一四分原告洋子に対して腰椎麻酔を実施のうえ、午後〇時二八分より渡邉医師を助手として腹式帝王切開術を開始し、午後〇時三二分に原告脩介を娩出した。その後、被告永井が専ら出生後の原告脩介に対する後記の処置等に当たることになったため、原告洋子に対する手術は渡邉医師がこれを引き継ぎ午後〇時五六分手術を終えるに至った。手術の際の原告洋子の出血量は六二五ccと計測された。他方、手術室において助産婦の立場で右分娩に立ち会っていた斉藤助産婦は、出生した原告脩介に対する処置等に加わるとともに、その傍ら、娩出された胎盤等の後産所見の測定等を行ったところ、羊水に混濁があること等のほかに、臍帯が胎盤の辺縁に付着していることも確認された。

7  蘇生術後の経過

出生した原告脩介は、アプガール・スコア〇点と判定される重症の新生児仮死の状態(心拍動、呼吸のいずれもなく、筋緊張もだらりとしており、反射反応もなく、全身蒼白という状態)にあったため、被告永井らは、直ちに同原告に対する蘇生術等の処置を行った。

蘇生術は、当初、被告永井が主として気道確保のための気管内挿管、人工呼吸及び吸引に、斉藤助産婦が主として心臓マッサージにそれぞれ当たり、その後間もなく小児病院麻酔科医師鈴木玄一も加わって、それぞれ蘇生のための処置を続けたが、原告脩介は依然としてアプガール・スコア〇点の状態のままであったため、出生から一八分が経過した午後〇時五〇分、被告永井は、原告脩介の蘇生が不可能であると判断し、抜管して蘇生術を中止した。

蘇生術中止後は、斉藤助産婦が臍の処置を行った上で原告脩介を搬送用の保育器に収容して病棟に移し、午後一時頃から沐浴を行うなどしていたが、午後一時二〇分頃、原告久光に見せるために原告脩介を抱いていた被告永井は、原告脩介の体に未だ温もりがあるように感じたことから、分娩準備室において、斉藤助産婦と共に再び蘇生術を試みたところ、暫くして、原告脩介に心拍動が認められるようになり、更に蘇生術を継続したところ、午後一時三〇分頃には弱い自発呼吸(腹式呼吸十数回/分)も認められるに至った。そこで、被告病院においては、同原告に対する以後の管理、治療等を小児病院に依頼する旨手配したうえ、午後二時二〇分頃、同原告を挿管の状態のまま救急車で転医先の小児病院へ送り出した。

二  胎児の娩出の時機を失した過失の有無

原告らは、原告脩介の負った無酸素性脳障害による重度後遺障害が、被告病院において被告永井らが胎児の娩出の時機を失した過失によるものであって、被告永井らが注意義務を尽くしさえすれば、原告脩介が右後遺障害を負うという事態はこれを回避し得た旨主張するので、以下、この点を検討する(なお、以下、証拠のうち鑑定人玉田太朗の鑑定結果及び証言を「玉田鑑定」、甲二七号証及び証人神谷稔の証言を「神谷意見」、乙二八号証及び証人竹内久彌の証言を「竹内意見」、乙三一号証を「小島意見」と略称する。)。

1  原告脩介の負った無酸素性脳障害の原因

本件の分娩に至る最終局面においては、被告永井が午前一一時四〇分過ぎに帝王切開術の施行を決意してから未だ間もない午前一一時五五分頃、既に胎児心拍数が五秒間に三回しかないという重篤な酸素欠乏症を示す所見が確認されていたのであって、その後の状態としても、午後〇時三二分の出生時のアプガール・スコアが〇点という重症の新生児仮死の状態であったことに照らせば、胎児の重篤な酸素欠乏症の状態は娩出に至るまで少なくとも三五分以上にわたって持続していたものと推定されるのであるから(玉田鑑定)、現在に至るまで原告脩介に重度後遺障害をもたらしている無酸素性脳障害の原因が、出生前の特に午前一一時五五分頃から娩出に至るまで右三五分以上にわたって持続していた重篤な酸素欠乏症(ほぼ同じ意味で胎児仮死あるいは胎児切迫仮死ともいう。)にあることは明らかである(ただし、胎児が右のような酸素欠乏症に陥った具体的な機序を、前置胎盤の早期剥離という特定の原因だけから説明し得るかは、後にも触れるとおり疑問のあるところであって、出生前に胎児を酸素欠乏症に陥らせた具体的な原因は、本件全証拠をもってしても、一つに特定し得ないものというほかない。)。

そこで、以下、本件において実際に帝王切開術の施行が決せられるに至った一連の診療経過に照らして、被告永井が注意義務を尽くしさえすれば、より早期に胎児が右のような重篤な酸素欠乏症の状態に至ることを予見した上で、胎児の娩出(具体的には帝王切開術による急速遂娩の実施)を決し得たといえるか否かを検討する。

2  注意義務の具体的な内容について

まず、本件の分娩に関して胎児の娩出(帝王切開術による急速遂娩の実施)の時機を見定める上での被告永井の注意義務の具体的な内容について検討する(なお、被告らは、新生児仮死の具体的な原因との関係で注意義務を論じない限り、法的には無意味である旨主張するが、本件における注意義務の具体的な内容は、担当医の被告永井において、前記のとおりの重篤な酸素欠乏症の状態に至るよりも更に前の段階で、胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候として、何をどのような方法でどう把握すべきであり、且つ、実際に現れた具体的な徴候に応じてどのように対処すべきであったかという形でこれを構成すべきものであって、この問題は、本件で結果的に胎児を酸素欠乏症に陥らせた具体的な原因が何であったとみるべきかという問題とは別個に論じ得るものというべきである。)。

(一) 入院前の診断と入院後の処置に伴う留意点

被告永井は、原告洋子について、入院に先立つ外来診察の際、既に前置胎盤の疑いがあると診断していたものであって、同原告が実際に前置胎盤の症例であったことは、当事者間にも争いがないうえ、前記一の冒頭に掲げた各証拠に照らしても明らかであるところ、臨床医療上、一般に、前置胎盤の症例の特徴的な症状である(胎盤剥離等に起因する)母体の出血は、その反復ないし増強が母体の予後を脅しかねない上に、胎児が(同じく胎盤剥離等に起因する)酸素欠乏症に陥ることもあるなど児の予後にも重大な影響を及ぼすことから、同症例の分娩管理に当たっては、右出血の反復ないし増強という事態に直面した時に、速やかに帝王切開術による急速遂娩等の胎児及び胎盤の娩出に向けた積極的処置を行って止血を図り、もって母児の予後に与える影響をできる限り食い止めることが肝要とされている(甲四号証の一、同五、六号証、乙三、五、七、九、一三、二六号証)。しかるに、本件で、原告洋子は、右のとおり前置胎盤の疑いがあると診断された当時、既に前夜から当日未明にかけて二度にわたり、前置胎盤の剥離に伴う症状とみられる出血が認められていたのであって、何時再び出血が認められたとしても不思議ではない状況にあったものと認められる。

次に、被告永井は、原告洋子に対する入院後の処置として、入院の当初より陣痛促進剤を用いた陣痛「誘発」法を行うことにし、斉藤助産婦に対してアトニンO五単位とプロスタルモンF二〇〇〇γの投与を指示しているところ、臨床医療上、右のような陣痛促進剤を用いた陣痛誘発法又は陣痛促進法を行う場合には、一般に、同剤の副作用により胎児が酸素欠乏症に陥る危険性があること等に留意して、投与量の点、あるいは投与中の経過観察の上で適切且つ十分な対応をすることを要するとされており、中でもアトニンOとプロスタルモンFの同時併用法を行う場合には特に慎重を期すべきこととされている(甲二〇、二一、二三号証、乙二二号証。なお、本件では、まさに右同時併用法を行うことにしたにもかかわらず、被告永井が投与量について特段の指示をしなかった結果、斉藤助産婦は、被告病院で通常行われていた方法に従い右同時併用法を行うにしてはやや多めと評価し得る(玉田鑑定)一分間に二〇滴という量で点滴投与を開始しているのであって、本件の陣痛促進剤投与の態様は、この点だけをみても、やや慎重さに欠ける嫌いがあったというべきである。)。

更に、本件の陣痛促進剤投与が、前置胎盤の疑いのある原告洋子に対して、入院当初から行われることになった点についてみると、被告永井は原告洋子に前置胎盤の疑いがあると診断した際に、前置胎盤であるとしても辺縁性のものであると考えていたところ、確かに、臨床医療上、前置胎盤の症例の中でも辺縁前置胎盤のような程度の軽いものについては、分娩方法として経膣分娩を試みることも許容されているところである(甲四号証の一、同五、六号証、乙三、五、七、九、二六号証、竹内意見)。

しかしながら、辺縁前置胎盤のような軽度の症例について、臨床医療上、更に進んで、経膣分娩を試みることを前提とした人工破膜等の積極的な処置を行うか否かは、出血の状況、分娩の進み具合等の諸事情から当該処置の必要性ないし相当性を総合的に考慮した上で、これを判断すべきものとされているところ(甲六号証、乙三、五、七号証)、原告洋子の当時の状況としては、妊娠三八週過ぎの経産婦であったこと、来院前に二回の出血があったが、その後自然に止血に至ったままであったこと、陣痛は既に始まっていたが、子宮口は約二センチメートル程開大しただけであり、児頭の下がり具合も不十分であり、破水もしていないという状態にあったことがそれぞれ認められるのであって、このような状況下で行われることになった本件の陣痛促進剤の投与は、被告永井が期待したように分娩の進行に伴い下降してくる児頭が胎盤を圧迫することで出血を抑えながら経膣分娩へと導いてゆくという効果をもたらすには時機尚早であったといわざるを得ず、かえって分娩の進むにつれて胎盤剥離による出血を促しかねない危険性をも有するものであったとみるべきである(玉田鑑定、神谷意見)。

陣痛促進剤投与それ自体が同剤の副作用により胎児が酸素欠乏症に陥る危険性を有することをも併せ考慮すれば、結局、右のような状況下で陣痛促進剤投与が行われることは、胎児を前置胎盤の剥離による酸素欠乏症と陣痛促進剤の副作用による酸素欠乏症という二重の危険にさらすことになるとみるべきであるから、原告洋子に前置胎盤の疑いがあると診断した上で更に右のような処置を指示した被告永井が、担当医として同原告の入院後の分娩管理に臨むに当たっては、母体からの出血の(再発の)有無を把握することに万全を期するだけではなく、特に陣痛促進剤の投与中の分娩監視に当たっては、胎児の状態を十分に把握するよう留意した上で、胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候を認めた場合には速やかに適切な対処をなし得るよう周到な態勢を敷いておくべきことを、第一の留意点として挙げることができる(玉田鑑定)。

(二) 分娩監視方法上の制約に伴う留意点

そこで、次に、本件で実際になされた陣痛促進剤の投与中の分娩監視の方法についてみると、臨床医療上、一般に、胎児の健康状態の中でも胎児心拍数の異常の有無は、特に胎児が酸素欠乏症の状態にあるか否かを判断する上での最も重要な所見とされており、胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候としては胎児心拍数の増加(頻脈)又は減少(徐脈)、そのうち特に後者が重視されているところ(甲八、一四号証、乙五、九、一二、二九号証)、本件で、被告永井の指示を受けて入院後の原告洋子の処置に当たった斉藤助産婦は、分娩監視装置を母体に装着のうえで陣痛促進剤の点滴投与を開始したものであるが、当時、同装置は、故障のために胎児心拍数図の記録ができない状態にあったことから、胎児心拍数に関する所見を把握するために斉藤助産婦が行った方法は、同装置を経由して聞こえてくる胎児心音を継続的に聴取するとともに、時期を見計らっては胎児心拍数を計測してみるというものであって、右のような方法は、トラウベや超音波ドップラー装置を用いた聴診の方法による胎児心拍数の計測だけを行うのと比較すれば、確かに、心拍数の変動の有無を(計測中に限らず)常時把握し得る点で、より早期に胎児心拍数の異常の有無を発見し得るものであったとみることができる。

しかしながら、臨床医療上、分娩監視装置を用いるのは、本来、胎児心拍数図を記録した上で、記録された図面を判読、分析することにより胎児心拍数の異常の有無を連続的に監視するためであり、又、いわゆる胎児仮死の早期発見及び診断のために設けられている基準も、胎児心拍数基線、胎児心拍数一過性変動及び胎児心拍数基線細変動という三つの要素に記録内容を分類した上でこれを適用することが前提となっているところ(甲七、八、一四号証、乙七、九、一〇、一二、二九、三〇号証)、本件では、右のとおり胎児心拍数図の記録ができない状態にあったことから、分娩監視装置使用中も、斉藤助産婦が胎児心拍数の計測を行い、五秒毎の心拍数に異常値を認めた時に限り、当該異常値を含むその時の心拍数変動の経過を看護記録中の記載として残しているにすぎないうえ、斉藤助産婦が被告永井と連絡を取って指示を仰いだ際にも同被告は胎児心拍数の減少があった旨の報告を受けただけでその後の処置を指示しているのであって、本件で被告永井が助産婦を通じて把握し得る胎児心拍数に関する所見の具体性の程度は、分娩監視装置を使用して胎児心拍数図の記録がなされた場合のそれよりも、むしろ、トラウベや超音波ドップラー装置を用いた聴診の方法がとられた場合のそれにより近いものであったとみるのが相当である。

したがって、被告永井において原告洋子の入院後の実際の処置に当たる助産婦を通じて陣痛促進剤の投与中の胎児の状態を十分に把握するためには、助産婦をして、分娩監視装置を経由して聞こえてくる胎児心音の変動の有無に絶えず気を配りつつ胎児心拍数の計測をこまめに行うようにさせた上で、心拍数に異常値が認められた場合には、担当医の判断に基づいて適切な対処をなし得るように必ず被告永井にその旨の報告をさせるなど、助産婦との間で十分な連携態勢を敷いておくべきことを、第二の留意点として挙げることができる(玉田鑑定)。

(三) 帝王切開術の準備の程度に由来する留意点

更に、本件で帝王切開術の施行を決するに先立ってなされていた準備の程度についてみると、臨床医療上、一般に、帝王切開術による急速遂娩は、前置胎盤の症例の分娩の方法として第一の選択肢とされているばかりではなく、いわゆる胎児仮死と診断されるような胎児の酸素欠乏症に対する抜本的な処置の方法としても必要不可欠のものとされているところ(甲二六号証、乙三、五、七、九、一二、三〇号証)、被告永井は、原告洋子の入院後の処置として陣痛促進剤の投与を指示するとともに、主に母体からの出血の事態を懸念して緊急帝王切開術の可能性に備えたいわゆるダブル・セット・アップの態勢で臨むことを指示したものであって、具体的には、原告洋子の飲食の禁止、手術室への緊急帝王切開術の可能性がある旨の連絡、輸血の申込みの三つが、その際に被告永井から指示のあった点であるが、胎児の酸素欠乏症が疑われる場合を含めて、対処方法として帝王切開術による急速遂娩を選択すべき時には、右のような事前準備がなされていることで、より円滑に施術への移行をなし得るものとみることができる。

しかしながら、臨床医療上ダブル・セット・アップという用語で表現される緊急帝王切開術の準備態勢の中には、必要がある場合には直ちに帝王切開術を実施し得るように手術室において経膣分娩を試みるという最も厳格なものに至るまで、その具体的な実情の点で種々の程度の差があり得るところ(玉田鑑定、竹内、小島各意見)、本件では、実際に被告永井が緊急帝王切開術を行うことを決意した午前一一時四〇分過ぎ頃から、手術室に持ち込む物品類の準備、剃毛、止血処置等が行われ、原告洋子が手術室に運び込まれたのが正午頃であり、午後〇時一四分の腰椎麻酔実施後、帝王切開術の執刀が開始されたのが午後〇時二八分、胎児が娩出されるに至ったのが午後〇時三二分であって、結局、被告永井が施術を決した時点から起算して、胎児を娩出するまでに五〇分強の時間を、執刀を開始するまでにも既に四五分を超える時間をそれぞれ費やしたことが認められるうえ、右の施術決定から胎児娩出までの経過の中で特に準備に手間取ったなど特殊事情も認められないことからすれば、本件において敷かれていた準備態勢の実情は、(それをダブル・セット・アップと称するのが適当であるか否かはおくとしても)必要があれば直ちに帝王切開術の実施へと移行し得るような厳格なものとはいえないばかりか、施術を決してから胎児の娩出に至るまでの所要時間を三〇分以内に抑えることすら非常に困難なものであったといわざるを得ない。

したがって、母体からの出血が再発した場合の選択肢であるだけでなく、いわゆる胎児仮死と診断されるような胎児の酸素欠乏症に対する抜本的な処置の方法でもある帝王切開術による急速遂娩に関しては、本件でそのために敷かれていた準備態勢が右にみたような程度にとどまることを踏まえて、胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候が認められた場合に被告永井が担当医として対処の方法を選択するに当たっては、その時点で施術を決定したとしても胎児の娩出に至るまでに三〇分以上の時間を費やさざるを得ないことも考慮に入れた上で、帝王切開術を選択すべき適切な時機を見定めるようにすべきことを第三の留意点として挙げることができる。

(四) まとめ

以上検討したとおり、被告永井には、実際の処置に当たる助産婦との間に十分な連携態勢を敷いた上で、母体からの出血(の再発)の有無だけではなく、特に陣痛促進剤投与中には胎児の状態を把握することにも十分留意し、母体からの出血(の再発)が認められた場合に限らず、胎児心拍数の異常をはじめとする胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候が認められた場合にも、帝王切開術による急速遂娩を選択すべき時機を失することのないよう、速やかに適切な処置をなすべき注意義務があったものと認めるのが相当である。

3  注意義務を怠った過失の有無について

そこで、原告脩介の負った無酸素性脳障害による重度後遺障害は、被告永井が右注意義務を怠った過失によるものというべきか否か、換言すると、被告永井が右注意義務を尽くしさえすれば、原告脩介が右後遺障害を負うという事態はこれを回避し得たものというべきか否かを検討する。

(一) 酸素欠乏症を疑うべき徴候の現れた時期

まず、斉藤助産婦において、午前一一時一五分頃には既に五秒毎の胎児心拍数が一時的に最低で六回という異常値にまで減少したことを確認していながら、被告永井にその報告をしなかった点についてみると、この点につき、原告らは、斉藤助産婦がいわゆる胎児仮死診断のための重大な徴候である右のような心拍数の減少(つまり徐脈)を確認しながら、その時点で被告永井に報告をしなかったのは重大な過失である旨主張する。

そこで検討するに、前記のとおり、被告永井は、実際の処置に当たる助産婦との間で十分な連携態勢を敷いた上で、特に陣痛促進剤投与中には胎児の状態を把握することに十分留意し、胎児心拍数の異常をはじめとする胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候が認められた場合には速やかに適切な処置をなすべき注意義務を負っていたものであって、具体的には、実際の処置に当たる斉藤助産婦をして、(分娩監視装置を経由して聞こえてくる)胎児心音の変動の有無に絶えず気を配りつつ胎児心拍数の計測もこまめに行うようにさせた上で、心拍数に異常値が認められた場合には直ちに、且つ必ず自己にその旨の報告をさせるなど、同助産婦との間で十分な連携態勢を敷いておくべきであったところ(このことは、当時使用していた分娩監視装置の記録部箇所が故障していた本件のような場合、必須であったといえる。)、五秒毎胎児心拍数については九以下の数値が出た場合を異常と考えるのが臨床医療上通例であること(乙二九号証、被告永井本人尋問の結果、証人波田野なみ子の証言)に照らせば、それが六回となったのは明らかに異常な値が出たものとみるのが相当であるから、陣痛促進剤投与中の午前一一時一五分頃に初めて確認された胎児心拍数の異常値は、被告永井がこれを把握した上で速やかに適切な処置をなすことを要するものであったと認めるべきである。

しかるに、被告永井は、斉藤助産婦との間で、陣痛促進剤投与中に胎児心拍数の異常値が認められた場合には必ず自己にその旨の報告をさせるようにするなど十分な連携態勢を敷いておくことをせず(本件では、胎児心拍数に異常値を認めた場合の対処方法について斉藤助産婦が被告永井から何らかの指示を受けていたなどの事実を認めるべき証拠はない。)、午前一一時一五分頃から既に胎児心拍数に異常が現れていたことを把握しないままでいたのであって、被告永井には、この点で既に注意義務を怠った過失があるというべきである。

なお、被告らは、右時点における胎児心拍数の減少(つまり徐脈)が一過性のものであるうえ、持続時間も短いなどいわゆる胎児仮死を疑うべき高度のものであったとはいえない旨主張しており、これに沿う証拠(竹内意見)もあるので、この点につき更に検討する。

確かに、右徐脈を含めて本件で陣痛促進剤投与中に数回にわたり確認された徐脈は、いずれも、間もなく正常値にまで戻っているという点では一過性のものであると認められるところ、臨床医療上、一般に、分娩監視装置によって記録した胎児心拍数図の内容を分類して得られる三要素のうちの胎児心拍数一過性変動については、心拍数の変動の形態を陣痛発作との関係で早発一過性徐脈、遅発一過性徐脈、変動一過性徐脈等に分けた上で、例えば、早発一過性徐脈であれば胎児の予後に影響する危険は少ないとか、変動一過性徐脈が高度になればいわゆる胎児仮死であるなどといった診断基準が設けられているのであって、実際に一過性徐脈が認められた場合には、右基準を適用してこれを評価、診断した上で、対処の方法を判断すべきものとされている(甲七ないし九、一二号証、乙七、九、一〇、一二、二〇、二九、三〇号証)。

しかしながら、本件では、そもそも被告永井が把握し得る胎児心拍数に関する所見の具体性の程度は、既に指摘したとおり、基本的に五秒毎の心拍数に関するものであって、分娩監視装置を使用して胎児心拍数図の記録がなされた場合のそれよりもむしろトラウベや超音波ドップラー装置を用いた聴診の方法がとられた場合のそれにより近いものであるうえ、数回にわたり徐脈が確認された際の実際の対応を具体的にみても、斉藤助産婦は、一、二回目の徐脈を認めた際、その都度母体を通じて処置を施しており(それらが適切なものであったかは後に検討する。)、その後、午前一一時四〇分頃徐脈が確認された際には、初めて徐脈があった旨の報告を受け、これを認識した被告永井が、その場で直ちに陣痛促進剤投与の中止と帝王切開術の施行を決意していること、斉藤助産婦は、午前一一時二〇分頃二回目の徐脈を確認した際には、それが陣痛発作時のものであることも確認しているが、その外には胎児心拍数の変動と陣痛発作との関係を明らかにしようと努めた形跡すらないこと(なお、二回目の徐脈が陣痛発作時のものであるからといって、斉藤助産婦がそうしたようにこれをいわゆる早発一過性徐脈と即断することには疑問のあるところであって、斉藤助産婦自身右徐脈を認めた際に母体への酸素流送の処置を行っていることからみて、決してそれを危険性のないものと考えていたわけではないことが認められる。)が認められるのであって、本件では、現に診療に携わっていた医師や助産婦自身が、徐脈が確認された場合に更にその性質ないし程度の詳細を把握することに努めたというよりもむしろ、一時的にせよ徐脈が確認されたこと自体を重視して酸素欠乏症の発生を疑った対応をしていたものとみるのが相当である。

被告らの主張は、右のような本件の診療経過の実情に沿わない嫌いがあるうえ、そのような経過の中で確認され、且つ、記録に残された徐脈に関する僅かな所見に対して、分娩監視装置により胎児心拍数図が記録されたことを前提に設けられている胎児心拍数一過性変動に関する基準を敢えて適用して評価しようとする点に無理があるといわざるを得ず、かえって、被告永井が右のとおり帝王切開術の施行を決した段階でも、確認されていた五秒毎の胎児心拍数の異常値自体は、当初認められたそれと同様の最低で六回という値であったことを素直にみれば、心拍数が一時的にせよ六回となったことは明らかに異常な値が出たものとしてこれを評価するのが相当というべきである。

右のとおり、本件で酸素欠乏症を疑うべき徴候は、午前一一時一五分頃に既に胎児心拍数の顕著な減少、つまり明らかな徐脈として現れていたものと認めるのが相当であるから、被告永井がこれを把握すべき注意義務を怠った点には、やはり過失があるというべきである。

なお、被告らは、右徐脈が性器出血を伴っていないから、それが胎盤剥離によるものとは考えられない旨主張しており、これに沿う証拠(竹内、小島各意見)も存在するところ、確かに、前置胎盤の特徴的症状である母体からの出血が未だ再発していない陣痛促進剤投与中の段階で、胎盤に新たな剥離が起きたと考えることは困難であるから、右徐脈だけをもって、新たな胎盤剥離によって胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候が現れたものとまで断定することはできないが、(胎児が酸素欠乏症に陥った原因を特定し得ないとしても)右徐脈が酸素欠乏症を疑うべき徴候であることそれ自体は否定し得ないところであるから、結局、本件で酸素欠乏症を疑うべき徴候が現れた段階においても未だに母体からの出血の再発が認められていなかったという事情は、既に示した判断内容を左右するような性質のものではない。

(二) 帝王切開術の施行を決定すべき時機

次に、原告らは、斉藤助産婦が午前一一時一五分頃に胎児心拍数の減少(つまり徐脈)を確認したことを被告永井に報告していれば、同被告もその時点で帝王切開術の施行を決定していたはずであるし、遅くとも二回目の徐脈が確認された午前一一時二〇分頃の段階では、いわゆる胎児仮死への進行を予測して帝王切開術の施行を決定すべきであった旨主張する。

そこで検討するに、前記のとおり、被告永井は、胎児心拍数の異常をはじめとする胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候が認められた場合に、帝王切開術による急速遂娩を選択すべき時機を失することのないよう、速やかに適切な処置をなすべき注意義務を負っていたものであって、右徴候が認められた場合に、具体的な対処の方法を選択するに当たっては、その時点で帝王切開術の施行を決したとしても胎児の娩出に至るまでに三〇分以上の時間を費やさざるを得ないことも考慮に入れた上で、帝王切開術を選択する時機を見定めるようすべきであったところ、臨床医療上、娩出に至るまでに重篤な酸素欠乏症の状態が三〇分も持続すれば胎児は既に手遅れになっているものとみるのが通常であるうえ(例えば、乙三〇号証には「重症の胎児仮死では一〇分以内、それ以外は三〇分以内の娩出であれば児死亡を起こしにくい」との記述がある。)、本件では、午前一一時一五分頃酸素欠乏症を疑うべき徴候として初めて徐脈が認められてから、午前一一時五五分頃に重篤な酸素欠乏症を示す所見が認められるまでの時間は、およそ四〇分程度であったことに鑑みれば、被告永井において右のような時期に重篤な酸素欠乏症の状態に至ることを予見し得る限りは、一刻も早く帝王切開術の施行を決して胎児の娩出を図るべきであったということができる。

このような見地から、午前一一時一五分頃に初めて徐脈が認められた段階で被告永井がなすべきであった処置を検討すると、右段階で認められたそれをはじめとして、陣痛促進剤投与中に数回にわたり確認された徐脈は、午前一一時五五分頃に確認されたそれと比較すれば確かに軽度のものであったといわざるを得ないから、重篤な酸素欠乏症の状態を示すとまでは評価し難い程度の徐脈が初めて確認されたにすぎない右段階では、まず、母体を通じた処置ないし治療にとどめることを選択したとしても、直ちにそれをもって誤りであると断ずることはできない。しかしながら、その場合になすべき具体的な処置ないし治療としては、そもそも本件では陣痛促進剤投与という処置を行ったこと自体が、既に指摘したとおり時機尚早であったといわざるを得ず、かえって、胎児を前置胎盤の剥離による酸素欠乏症と陣痛促進剤の副作用による酸素欠乏症という二重の危険にさらすものであった上に、本件で実際に酸素欠乏症を疑うべき徴候が現れたのも、同剤の投与開始後であったことに鑑みれば、右のような徴候が現れたにもかかわらず、なおも同剤の投与を継続すべき合理的な理由は何ら見出し得ないというほかないから、本件の陣痛促進剤投与は、右段階で直ちにこれを中止するのが相当であったというべきである。

右のとおり陣痛促進剤投与を中止するなどの母体を通じた処置を速やかに行うとして、更にその後の対処方法を検討すると、まず、被告永井においてより一層厳重に胎児の状態を把握することに留意すべきことは明らかであるところ、そうした上で再び胎児心拍数に当初と同程度又はそれ以上の異常値が出るなど、酸素欠乏症を疑うべき徴候になお改善がみられないという次の段階に至った時に被告永井がなすべき処置としては、そのまま事態を放置しておけば、右徴候が次第に顕著なものとなってゆき胎児がいずれ手遅れとなるであろうことは容易にこれを予見し得るのであるから、被告永井において、なお経膣分娩を試みることに固執し、抜本的な処置である帝王切開術による急速遂娩に切り替えることを躊躇することが許容される状況にはなくなりつつあるものといわざるを得ない。しかも、本件では、原告洋子に前置胎盤の疑いがあることから、その特徴的な症状である母体からの出血の再発という事態が(前置胎盤の剥離による酸素欠乏症の危険性という観点からも)最も懸念されていたにもかかわらず、実際に胎児に酸素欠乏症を疑うべき徴候が現れた午前一一時一五分頃の段階では、未だに母体からの出血の再発が認められていなかったという事情があることも併せ考慮すべきであるところ、右のとおり陣痛促進剤投与を中止するなどの母体を通じた処置を行っても、胎児の酸素欠乏症を疑うべき徴候に改善がみられない場合には、そのまま事態を放置しておくことで右徴候が次第に顕著なものになってゆくことが予見されるというにとどまらず、そこへ新たな胎盤剥離に伴う母体からの出血の再発という事態が重なった時には、胎児の酸素欠乏症が一気に重篤なものになるであろうこともまたこれを予見し得るところであって、前置胎盤の剥離に伴う症状である母体からの出血が何時再発しても不思議でないという状況には、もとより何ら変化がないのであるから、結局、酸素欠乏症を疑うべき徴候が初めて認められたという当初の段階を過ぎ、右のとおり母体を通じた処置を行っても、なお酸素欠乏症を疑うべき徴候には改善がみられないという次の段階に至った場合、被告永井は、そのまま事態が放置されるとともに母体からの出血の再発という新たな異常事態がそこに重なった時には、既に徴候として現れている胎児の酸素欠乏症が一気に重篤なものになる危険性が十分にあることを予見して、一刻も早く帝王切開術の施行を決定すべきであったと認めるのが相当である。

以上要するに、午前一一時一五分頃に初めて徐脈が認められた段階で、被告永井は、まず、速やかに従前行ってきた陣痛促進剤の投与を中止するなどの母体を通じた処置ないし治療を行い、その後も、より一層厳重に胎児の状態を把握することに留意した上で、再び胎児心拍数に当初と同程度又はそれ以上の異常な値が出るなど酸素欠乏症を疑うべき徴候になお改善がみられない時には、直ちに帝王切開術の施行を決定すべきであったと認めるのが相当である。

しかるに、被告永井は、前記のとおり、注意義務を怠った過失によって午前一一時一五分頃には既に徐脈が現れていたことを把握しなかったために、それから午前一一時四〇分過ぎに帝王切開術の施行を決意するまでの二五分程に及ぶ貴重な時間を、次のとおり適切な処置をなすことのないまま漫然と費やしてしまったものといわざるを得ない。

すなわち、まず、午前一一時一五分頃右徐脈が確認された際には、斉藤助産婦が自らの判断で陣痛促進剤の投与量を減らす処置をしたにもかかわらず、それから僅か五分程の時間しか経っていない午前一一時二〇分頃には、再び当初のそれと同程度(あるいは持続時間からみればそれ以上)の胎児心拍数の異常値が確認されているのであって、その際に斉藤助産婦が再び自らの判断で母体への酸素流送の処置をしたにもかかわらず、それからおよそ二〇分程の時間が経った午前一一時四〇分頃にも、やはり従前のそれと同程度(あるいは持続時間からすればそれ以上)の異常値が確認されているうえ、右のとおり午前一一時二〇分頃からおよそ二〇分程の時間が経つ間も、胎児心拍数に全く異常がなかったとまでいえるかは相当程度疑問の残るところであるから(その間の心拍数には異常がなかったことを確認したとの証人波田野なみ子(斉藤助産婦)の証言はあるが、丁度その頃隣の分娩台で別の産婦の分娩が午前一一時三〇分頃の胎児の娩出に向けた最終段階に入っていたのであり、その介助にも当たっていた同助産婦が、原告洋子に対する十分な監視を並行してなし得たものとは到底考え難いことに鑑みれば、右証言をたやすく信用することは出来ず、他にはその間の心拍数に異常がなかったことを認めるべき的確な証拠はない。)、結局、午前一一時四〇分過ぎに帝王切開術の施行が決せられるまでの間、右のとおり斉藤助産婦が自らの判断で行ったいずれの処置によっても酸素欠乏症を疑うべき徴候には改善がみられなかったのである。そして、被告永井が未だに重篤な酸素欠乏症とまでは評価し得ない程度の徴候が続いていたにすぎない段階で、右のとおり帝王切開術の施行を決定したにもかかわらず、それからおよそ十数分が経った午前一一時五五分頃には、前置胎盤の剥離に伴う症状とみられる母体からの出血の再発が認められるとともに、時を同じくして重篤な酸素欠乏症を示す所見が認められるに至り、その後、午後〇時三二分の娩出に至るまでの間、胎児の重篤な酸素欠乏症の状態が三五分以上も持続したために、原告脩介が出生した時の状態は既に手遅れになっていたものと認めざるを得ないのである。

なお、被告らは、右のとおり午前一一時五五分頃に認められた重篤な酸素欠乏症を示す所見つまり重度の徐脈が、胎盤の早期剥離を原因とするものではなく、臍帯因子によって突発的に生じたものとしか考えられないとして、このような事態の発生を予見することは不可能であった旨主張するが、右のような重篤な酸素欠乏症を示す所見が、午前一一時一五分頃から現れ、その後も一向に改善をみなかった一連の酸素欠乏症を疑うべき徴候と無関係なものとは考え難い(玉田鑑定)上に、時を同じくして母体からの出血の再発をもたらしたとみられる新たな胎盤剥離も、それだけで胎児を突如として重篤な酸素欠乏症に陥らせるものとはいえないにせよ、既に顕著な徴候が現われていた胎児の酸素欠乏症を一気に重篤なものにすることには十分に寄与し得るものと評価すべきであるから(玉田鑑定、被告永井本人尋問の結果)、午前一一時五五分頃起きた右のような事態は、被告らの主張するような突発的なものとは評価し得ないというほかなく、前記のとおり被告永井は右のような事態を十分に予見し得たものというべきである。

換言すれば、被告永井において、前記のとおり注意義務を尽くして、午前一一時一五分頃に初めて徐脈が認められた段階から速やかに適切な処置をしていたとすれば、たとえ胎児が右と同様の臨床経過を辿ることになったとしても、遅くとも午前一一時二〇分過ぎには、右のような重篤な酸素欠乏症の状態に至ることを予見して、直ちに帝王切開術の施行を決定し得たものというべきであって、そうすれば、実際よりも二〇分程早い時期に、重篤な酸素欠乏症の状態に陥った胎児を娩出し得たというべきであるから、出生した時の原告脩介が新生児仮死の状態にあったとしても、その症状の重さには格段の差異が生じたであろうこともまた、これを推認するに難くないところであって、それから速やかに蘇生術等の適切な処置がなされさえすれば、原告脩介が本件のような重度後遺障害を負うという事態はこれを回避し得たものと認めるのが相当である。

(三) まとめ

以上のとおりであって、本件で原告脩介が重度後遺障害を負ったのは、担当医の被告永井が、原告洋子の入院後の分娩管理、特に陣通促進剤投与中の分娩監視に臨む上で、実際の処置に当たる助産婦との間に十分な連携態勢を敷くべき注意義務を怠り、胎児が酸素欠乏症の状態にあることを疑うべき徴候として明らかな徐脈が現れていたのに直ちにこれを把握することなく、且つ速やかに右徴候に応じた適切な処置をなすことのないまま事態を放置し、もって帝王切開術の施行を決して胎児の娩出を図る時機を失した点において、同被告に過失があったことによるものというべきである。

第四  原告らの損害

一  原告脩介の損害

1  逸失利益(請求額六一二六万七四八三円)

原告脩介の負った後遺障害の程度が、前記第二の一、3のとおりであることに照らせば、同原告が労働能力を一〇〇パーセント喪失し、且つその回復の見込みもないことは優に推認し得るところであるから、就労可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間とし、昭和五九年の賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計男子労働者の年間平均給与額(四〇七万六八〇〇円)を基礎として、ライプニッツ方式により逸失利益の総額を算出すると、次のとおり三〇七七万七八〇一円となる。

4,076,800×(19.2390−11.6895)=30,777,801

2  慰謝料(請求額一五〇〇万円)

右にみたような本件後遺障害の性質、程度その他本件に顕れた一切の諸事情に照らせば、原告脩介の受けた精神的苦痛に対する慰謝料の額は、原告らの主張どおり一五〇〇万円と認めるのが相当である。

3  損害額の合計 四五七七万七八〇一円

二  原告久光及び同洋子の損害

1  介護費(請求額五四九九万四〇〇二円)

原告脩介の負った後遺障害の性質及び程度は前記のとおりであるところ、この事実に甲一六号証の一ないし四、同一七、一八号証及び原告洋子本人尋問の結果を総合勘案すれば、原告脩介は生涯にわたり常時両親らによる介護を要する状態にあるものと推認されるから、介護費として一日当たり二〇〇〇円を要するものと認めるのが相当であって、昭和五九年の簡易生命表によれば同年における原告脩介の平均余命は七四年と推定されるから、原告らの主張どおり二歳からの七二年間の介護費につき、全て将来のものとしてライプニッツ方式によりその額を算出すると、次のとおり一二八四万七八五四円となる。

2,000×365×(19.4592−1.8594)=12,847,854

2  慰謝料(請求額各一〇〇〇万円)

原告脩介の既にみたような後遺障害の性質及び程度を中心とする本件の諸事情に照らせば、その親である原告久光及び同洋子の受けた精神的苦痛はいずれも子を亡くした場合に勝るとも劣らないものと認め得るから、それぞれ二五〇万円の固有の慰謝料を認めるのが相当である。

3  弁護士費用(請求額一五〇〇万円)

原告久光及び同洋子の要した弁護士費用につき、総額六〇〇万円(それぞれ三〇〇万円)を損害として認めるのが相当である。

4  損害額の合計 二三八四万七八五四円(各一一九二万三九二七円)

第五  結論

以上のとおり、被告永井は不法行為責任に基づき、被告国は使用者責任に基づき、各自、原告脩介に対して、損害賠償金四五七七万七八〇一円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、原告久光、同洋子それぞれに対して、損害賠償金一一九二万三九二七円及び弁護士費用を除く八九二万三九二七円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきであって、原告らの請求は被告ら各自に右のとおりの支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条及び九三条を適用して、主文のとおり判決する(仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。)。

(裁判長裁判官前島勝三 裁判官川島貴志郎 裁判官小川賢司)

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